研究内容

プロジェクト6(1)

 類似しながら相違点も多いインスリン/IGFシステムは、どのように進化してきたのでしょうか?単細胞真核生物の代表である酵母にはインスリン様ペプチドの遺伝子は確認できませんが、旧口動物の線虫では38種類、ショウジョウバエでは7種類のインスリン様ペプチドの遺伝子が存在しています。これらは主に神経系細胞で産生されており、栄養状態をはじめとした生体の置かれた状況に応答して分泌が制御されています。一方、これらの生物にはIGF-I受容体/インスリン受容体に相同性の高い受容体が一種類だけ存在していることが明らかにされています。以降のシグナル伝達系は哺乳類のそれと良く似ており、これらの経路を介して末梢組織の代謝を調節、その結果、成長・成熟・老化などが制御されています。これに対して、新口動物である脊索動物ではインスリン様ペプチドは一種類です。個体サイズが大きくなり、大量に取り込んだ栄養素を代謝する必要が生じた脊椎動物への進化の過程で、IGFとインスリン、IGF-I受容体とインスリン受容体の遺伝子がそれぞれ出現し、IGFとインスリンの主要産生組織は末梢へと移り、これによって、IGFシステムがタンパク質代謝の調節を介して発達・成長・成熟・老化を制御、インスリンシステムがエネルギー代謝を制御という分業化が行われたと考えることができます。

 なぜ、新口動物では、旧口動物のようにインスリン様ペプチドを多種類にする必要がなかったのでしょうか?新口動物では、進化の過程で、先に紹介したIGFBPなどが発現するようになり(とはいえ最近、IGFBPは当初はIGFと相互作用せず、IGFとは独立した機能を発揮していたことをうかがわせる結果がでてきています)、このIGFBPが種々の細胞外因子によって産生が制御されるようになりました。また脳ホルモンであるGHなどが発現しIGFの産生を支配する(これも偶然、GHのシグナル下流の転写因子が、IGF遺伝子の発現を促進するようになったと考えると都合の良い証拠がいくつかあります)、いわゆる「GH-IGF axis」が機能するようになったことも注目に値します。更に、他の多くの細胞外因子が出現し、これらによりIGFやインスリンの細胞内シグナルが修飾されるようになりました。これらの機構を介して、生体が置かれた状況をモニターしてダイナミックにレベルが変化する他の細胞外因子の情報が、主に動物の栄養状態や組織発達状態をモニターして産生・分泌が制御されているIGFやインスリンの情報に合流し、生理活性として統合されるという仕組みができあがったと考えることはできないでしょうか。これらを種々の動物のインスリン様ペプチドのシグナル分子の遺伝子を調べ、証明していきたいと考えています。

 先にご説明したように、IGFやインスリンのようなインスリン様ペプチドは、無脊椎動物では脳・神経ペプチドで、嗅覚刺激によって分泌され、栄養分があればタンパク質同化活性を促進して成長を促進する役割を有しています。進化の過程で、IGFやインスリンの分泌は末梢の組織の役割が主になってしまいましたが、おそらく未だに脳・神経系には栄養と成長を、脳・神経系と末梢臓器とを協調させる機能を保持しているものと推定しています。同時に、これらのホルモンは、脳・神経系を酸化ストレスなどの傷害から保護したり、中枢神経の再生や分化を誘導することも明らかになってきています。そこで、私たちはIGF/インスリンのシグナル分子のノックアウト動物やノックダウン細胞を用いて、インスリン様シグナルが、中枢神経系やそれぞれの末梢組織で栄養状態をはじめとした生体外・生体内刺激をどのようにモニターし、これらの情報が組織の物質代謝などをどのように制御しているのか、またそれらのシグナルが動物の行動になんらかの影響を及ぼさないかについても、検討していきたいと考えています。このような進化の観点からの研究が、インスリン様ペプチドの脳・中枢神経、あるいは末梢組織での新しい役割を明らかにできるのではないかと期待しています。

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図22 インスリン様ペプチドの進化

 低タンパク質を給餌された動物では、筋肉でのIGF活性が抑制されタンパク質同化が阻害、そのためエネルギー消費が減少する。しかし、その一方で低タンパク質栄養状態は、肝臓(同時に筋肉も)のインスリンシグナルを増強し、インスリンに対する感受性を上昇させる。エネルギー消費が減少したために余剰となったグルコースは肝臓などにとりこまれ、インスリン刺激依存的に活性化されている脂質合成系により脂質に変えられ、肝臓に脂質蓄積が起こる。タンパク質栄養の変化を糖・脂質代謝を利用してエネルギーの恒常性を維持する機構ということができるが、どのようなシグナル伝達系により、肝臓でのインスリンシグナルが増強されるかは、今後の課題である。一方、絶食では、これとは異なる生体反応が起こる。

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